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変革期 – 変えなければならないもの、そして、変えてはならないもの

2008年 - 2016年

リーマン・ショックを超えて

約2年間続いたリーマン・ショックの影響下で、特に受注の状況が厳しかったのは、2009(平成21)年1月から2010(平成22)年1月までの1年間だった。ただ、仕事がないのは周囲の同業他社も同様で、社長の藤井祥三いわく「みんな同じなら恐くない」。それが心の支えだった。

2009年期の金型業界の生産高は、対前年比70.6%であった。下表のように、ダイカストの落ちこみは特に激しく、前年度1,145億円に対して719億円と62.7%となっている。当社では、2009年度の売上高は5億4,900万円と対前年比50.3%、7年前の水準に戻ってしまった。

しかし金型は仕事がありさえすれば、必ずもうかる。受注が戻れば、以前の利益水準に追いつけるだろう、切粉を出し続けるしかないと覚悟を決めた。幸い、機械設備は以前のまま、社員は一人も辞めていない。そんな藤井祥三を支えるため、長男の藤井寛達が勤め先を辞し、フジイ金型に入社した。この時点では、まだまだ自宅待機の社員が多かったという。2010年1月だった。

その年の決算期は売上高6億5,000万円、上向きながらも厳しい状況だった。営業部隊は引き続き努力を続けた。条件的にかなり厳しい仕事も引き受けた。その甲斐もあって受注は着実に戻り、翌年には7億8,900万円と、徐々に業績は回復していった。

日本の金型種類別生産額の推移(10年間)。プレス型、プラスチック型、ダイカスト型(鋳造を含む)、その他。日本の金型種類別生産額の推移(10年間)

中国への進出

2011(平成23)年2月、中国江蘇省昆山市に、初の海外展開となる「昆山福吉意模具科技有限公司」を設立した。

江蘇省昆山市江蘇省昆山市

中国では、 21世紀に入って鉄鋼、家電、電子情報機器などで世界一の生産高を記録、「世界の工場」と呼ばれるようになっていた。2009年はリーマン・ショックの影響を受けたものの、経済的打撃は先進諸国と比べると限定的だった。国内総生産(GDP)も9%台に踏みこたえて翌年すぐに2ケタ成長に戻り、日本を抜き世界第2位の経済大国となった。

日本の製造業では、国内と比べ格段に低い人件費や設備費、1元=10円台前半の為替レートを背景に、中国への進出に拍車がかかった。金型会社も、主な納入先である自動車メーカーや部品サプライヤーなどの後を追って、中国に工場を設立した。主な拠点は、北京・天津など政治・経済の中心である華北地方、深圳(華南地方)や大連(東北地方)など古くからの経済特区を抱える地域であった。

一方、当社が進出した江蘇省昆山市は上海市の北西50キロにあり、華東地方にあたる。2010年の上海万博以降、注目を集めていた地域だった。経済開発区に指定され、日系企業ほか多くの外国企業が集積しているものの、当時は金型関係の会社が比較的少なかった。これがこの地に拠点を構えた理由の一つである。

旧中国工場中国工場 外観(現在は移転)

設立準備は、1年ほど前から進められた。現地に視察へ行き設立を決定、多くの日系企業が集まる工業団地で貸工場を探し、入居を決めた。ところが入居前に交渉が滞っていたところ、近くに打ってつけの場所に空きが出たため、急きょそこに変更した。面積2257平米の広々とした敷地に立つ1677平米の工場である。

旧中国工場 事務所中国工場 事務所(現在は移転)

その後、工作機械の調達や現地での求人など体制を整え、中国工場を実際に稼働させたのは2011年の11月だった。スライドレールやスライドブロックの生産からスタート、粘り強い指導により確実に技術力をつけてきた。現在は駐在している総経理(責任者)の榊間ほか日本人スタッフ1名と現地社員13名で、日本の本社と連携を密にしながら、製造全般とメンテナンスを請け負うまでに至っている。

代表取締役社長交代へ

2012(平成24)年9月、藤井寛達が代表取締役社長に就任、藤井祥三が取締役会長に就任した。前年3月11日には東日本大震災が発生、日本全体が多大な経済的打撃を受けたが、幸い、当社への直接的な影響はほとんどなかった。就任後、売上高は順調に伸び、2015(平成27)年度にはリーマン・ショック前までに回復した。だが、金型業界全般を眺めると、生産額はいまだ厳しい水準にとどまり、事業所数は9000社を割り込むまでに減少している。環境の変化の激しさ、サイクルの目まぐるしさは肌身で感じられる。

しかしながら、新社長の藤井寛達のポリシーは「じっくり、じっくり」である。こんな状況だからこそ、腰を据えた見通しを持ち、行動は素早く起こすことが必要であると考えている。

基本思想は、営業あっての会社だということだ。そして営業を支えるための戦略は「最新の設備を、効率よく、最高の技術で使いこなすこと」である。基本的には、前社長の藤井祥三の時代から変わってはいない。

今後も、まず的確なタイミングで設備投資ができるよう、十分な内部留保を行なう。また、フジイ金型の伝統である「分業」によりムダな作業や工程を見直し、常に改善を図っていく。さらに、今まで培った熱処理に関するノウハウ、湯まわりの設計技術などの属人的な暗黙知をデータ化して共有し、形式知にしていく。それが高品質、短納期、低コストの金型の提供につながる。

こうしたヒト、モノ、カネ、情報など経営資源のやりくりについて、最も大切で、最も手間と時間がかかるのが、「ヒト」だと藤井寛達は捉えている。カネを投下して、モノを調達することはすぐできる。しかしお客さまなどステークホルダー(利害関係者)はもちろんのこと、社員も含めヒトの問題は、そうそう思い通りにはいかない。情報にしろ、本当に重要なものは、実はヒトに付いている。まさに「金型作りは人づくり」である。

これを踏まえて試みているのが、会長の出身地である白川町で、金型設計事務所を設立することである。結婚などをきっかけに退職した社員や、介護で地元を離れられない人を対象に、再雇用を呼び掛けている。その人の持つ技能を活かしてもらうというアイデアだ。これは政府が提唱する、女性の活用やワーク・ライフ・バランス(仕事と生活との調和)への支援にもつながる。体制が整えば、ゆくゆくは新卒にも雇用のワクを広げていく予定である。

10年後、社会はどのように変化しているだろうか。創立50周年を迎えるまでに、今後世の中の流れに合わせて変えるべきもの、逆に、フジイ金型として決して変えてはならないものがあるはずだ。めざすのは、お客さまのニーズに応え続けること、それによって、社会のモノづくりに貢献すること。製造業のマザーツール「金型」を生み出す誇りを胸に、フジイ金型は新たな歴史を刻もうとしている。

フジイ金型は新たな歴史を刻もうとしている。フジイ金型は新たな歴史を刻もうとしている。
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